希望の歌

今は未来に向かう道の途中だ

Dear 錦戸亮くん

 

この「Dear」という題名からはじめるブログを、こんなに何回も書くことになるとは思いもしませんでした。最初は内くんへ向けてだったから、昔あった内くんへのあたたかい掲示板から拝借していただけだったのだけれど。

 

 

錦戸亮くん

 

私にとって亮ちゃんは、内担であり続ける意味をくれた人、だったかもしれない。

 

関ジャニ∞とNEWSという二足のわらじを履き、超多忙なスケジュールを2人で一緒に乗り越えていた内亮。ホテルで2人暮らししたり、寂しくなったら一緒に横山渋谷村上のお兄ちゃんたちに電話したりして。「内がいないと何も出来ない、遊べないんで。だから今度こういうときはたぶん内と一緒にやってます」なんて話していた亮ちゃん。

亮ちゃんは内くんの“片割れ”だった。

 

 

2005年

 

初夏、内くんが肺気胸になって入院したときは、毎日毎日お見舞いに行ってたね。

 

でもある夏の日、その片割れは表舞台からしばらく姿を潜めることとなった。

そのとき亮ちゃんがJohnnys webに綴ったのは、「うちがんばろうなおれらはまってるから」という縦読みメッセージ。そのメッセージにどれだけ救われたかわからない。

 

でも、そこからの亮ちゃんを見ているのは少しつらかったな。いままで2人で乗り越えていたものを1人で抱え込んで、まるで2人分走っているかのように走って走って走り続けて。

 

 

2006年

 

ソロコンサートで披露された自作曲「盲点」

辛い過去抱えてても
君の背中にはもっと重いものが
一緒に抱えようとしても僕がもっと重くしてたね

一つ一つ失う君
一つ一つ与える僕
他人からすれば滑稽かもね
またひとつずつ・・・

十字架 背負えば許されるのか
それはわからないけど
おそらく違うよ

今やるべきことが
いつか必ず はっきり見えてくるから

それはなんだか、2人を重ねてしまうような歌詞だったりして。

 

 

2007年

 

「PLAYZONE2007 Change to Chance」。内くんが研修生として表舞台へ帰ってきた。ステージ上の台詞として内くんが語ったのは、関ジャニ∞とNEWSメンバー、そして個人名を挙げて亮ちゃんへのごめんなさいとありがとう。

号泣しながらこの舞台を見学していたという亮ちゃんは、そのあとの関ジャニ∞47都道府県ツアーで「内の舞台観てきました!内頑張ってるんで俺らも頑張ります!!」と言ったとか。

 

8月5日
「東京ドームの奇跡」…関ジャニ∞47都道府県ツアー・東京ドーム公演のダブルアンコール。出てきた途端、バックステージへ走るメンバー。先頭を走っていた亮ちゃんがステージを降り、見学席から1人をステージに引っ張り上げる……それが内くんだった。自分の着ていたツアーTシャツを脱いで内くんに着せた亮ちゃん、そして5万5千人と8人による「最高で最強の関ジャニ∞」。「東京ドームで見た、一度は失ったはずの可能性。何より僕らにはこの事実がある。」とその週のJohnnys webには綴られていた。その亮ちゃんの言葉に、あぁ、まだ可能性がある、信じて待っていていいんだと思った。

 

 

2008年


内くんが「一瞬の風になれ」という4夜連続ドラマに主演し、本格復帰することが決まった。そのドラマに兄役として亮ちゃんが友情出演することになった。2人で各テレビ誌の表紙や特集を次々と飾ったそのときの顔は、全部ぜんぶ嬉しそうで、目がなくなりそうなほど笑ってて。この時の亮ちゃんの緩みきったデレデレの笑顔は、後に出演するドラマ「ラストフレンズ」の監督に「これくらい笑って」と言われ「無理!」「俺めっちゃ笑ってるんですよ(笑)」と亮ちゃん本人も言っていたほどだったよね。そんな、内くんとの共演が嬉しくて嬉しくてたまらないという亮ちゃんが可愛くて愛しかったな。

 

 

2009年

 

内くんのソロコンサート。応援VTRなるもので毎公演亮ちゃんからのメッセージが流れ、オーラスには見学にきてステージに上がったどころか、ポップアップで一緒に飛び出してきたというんだからとんでもなかった。

 

関ジャニ∞のアルバムのリード曲「パズル」は亮ちゃんを筆頭にメンバーが関ジャニ∞の過去を全て斉藤和義さんに話して作ってもらったという曲で、歌詞がこれまた内くんに思いを馳せずにいられないものだった。

なくしてしまったひとつのピース
探しているよ 手を貸してくれ

亮ちゃんも、彼らもまだ、諦めていないんじゃないかと思った。

 

 

2012年

 

8周年ツアーオーラスの京セラドームで亮ちゃんが泣きながら言った「8人目は私ですって言ってください」という言葉はずしんときたなぁ……

いつも内くんの隣で、親友として、1番のライバルとして、一緒にいた亮ちゃん。内くんの復帰を誰よりも願い、謹慎中は毎日電話やメールをして、時には一緒に泣いて、辞めたいと思ったことも1度や2度じゃなかったという内くんを、一番近くで強く支え続けていてくれたのは、きっと亮ちゃんだった。

そんな亮ちゃんの口から、しかも泣きながら紡がれたこの言葉の重み。内くんの帰りを誰よりも待っていたであろう亮ちゃんが諦めてしまうんだという絶望と同時に、もういい加減8→1に縋ってはいけないと、前を向かなきゃいけないと、ようやく思った。2005年から動くことができずにいた私の足をゆっくりと動かしてくれたのもまた、このときの亮ちゃんの言葉だった。

 

 

こうやって、亮ちゃんが、他の誰でもない、内くんの片割れだった亮ちゃんが、誰よりも内くんのことを支えて待っていてくれたから、それを定期的に感じることができたから、私はあの時期も乗り越えて内担であり続けることができたんだと思う。

 

 

亮ちゃん

 

ジャニーズ事務所のアイドルとして表舞台に立ち続けてくれてありがとう。

 

ご機嫌がわかりやすい人だった。今日のライブがどんな空気になるかは亮ちゃんとすばるくん次第、今日はどんなご機嫌かな、なんて思いながら会場へ足を運んでいたのはいつまでだっただろう。 「893」なんてあだ名がついたのも、もうだいぶ昔の話だね。

 

よこやまくん!!ってヨコにかみつく亮ちゃん、すばるくんとはお互いにちょっとだけ不器用だから「気まずいコンビ」なんて呼ばれてしまった亮ちゃん、鼻水ちーんしてもらったりこぼれた飲み物拭いてもらったりされるがままヒナちゃんに甘えていた亮ちゃん、マル!!!!ってお説教するのにたまに立場が逆転してマルちゃんに迫られて弱ってた亮ちゃん、同級生コンビヤンマーの「亮」「章ちゃん」呼びが好きだった、大倉とサーフィン行けたかなぁ。

そして、関ジャニ∞として、ジャニーズとして最後の最後のステージ、「十五祭」オーラス東京ドーム公演を観にくるように電話した相手が、他の誰でもない内博貴だったのだから、あの夏から14年という月日が流れても変わることのないきらめきを放つ「内亮」という物語は、最後まで尊すぎて困る。

 

 

関ジャニ∞解散するん?って泣きながらヒナちゃんに聞いたという亮ちゃんや、エイトを辞めるときはこの世界を辞めるとき、と言った亮ちゃんを思い出しては、なんで、どうして、いや、エイトを辞めるからこの世界(ジャニーズ)を辞めるんだよ宣言通りじゃんとか、でもなんでどうして、あんなに関ジャニ∞への好きが溢れてるひとだったのに、いやこれとそれとは違うんだとか、ぐるぐる考えてしまう。

 

すばるくんも亮ちゃんもめちゃくちゃ人見知りで、メンバーが守ってたような人たちだったから、ふたりが関ジャニ∞という居場所を自ら手放すなんて考えられなかった、ひとりで大丈夫なの、とか、Jr.時代、亮ちゃんがヤスにJr.辞めたいって相談した時、辞めなアカンぐらい頑張ったか?って言って止めた話は有名だけど、十分頑張ったよって送り出すアイスクリームだったのかなぁとか。

 

何も語らずに颯爽と去ってゆく亮ちゃんが亮ちゃんらしい。

すごくすごく寂しいはずなのに、実感なんてなくて、泣く隙もなくて、バラエティでの不在なんて、ドラマ、映画、別仕事…よくあることだって、そんな感覚で。きっと次に「関ジャニ∞」をブラウン管や誌面を通すことなく自分の目で見たときに愕然とするんだろうな。

 

 

亮ちゃん、行かないで。

…なんて言ったら、笑いながら一蹴されるだろうか。

 

 

Dear 錦戸亮くん

 

小さい頃から前線で走り続けてきた亮ちゃんが背負ってきたものは大きな大きなものだったと思います。2トップと言われた片割れ、2本柱だったボーカルの相方を失い、自分も旅立つことを考えながら、今度こそ本当にセンターを背負った1年間がどれほどのものだったか。だけど、家族のようなあたたかいホームを手放して、これからひとりで歩み始める道はもっともっと大変かもしれない。

 

それでも、ひとりの人として大きな大きな決断をした亮ちゃんのゆく未来が、亮ちゃんが思い描くかたちでいつまでもキラキラ輝いていますように。

きっと亮ちゃんなら、なんでもやってのけるのでしょう。

 

新しい世界へ、いってらっしゃい。

 

 

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There’s nothing to be wrong for you.