希望の歌

今は未来に向かう道の途中だ

Dear 内博貴

2005年7月16日

関ジャニ∞とNEWSがパズルのピースを一つなくしたあの悲しき日から、今日で10年という年月が経った。


当時の私は、そのなくなったピース本人の担当をしていた。

今は担当を降りているけれど、元担を好きだった日々は私の青春のほぼ全てであったといっても過言ではなく、そんな私にとっての10年という節目はとても大きなものなので、一度振り返って、そして思い出として記録しておきたいと思います。

というわけで、Twitterの140文字では到底書ききれないため、よく見かけるはてなブログを開設してみました。

なお、この記録はほぼ関ジャニ∞寄りの内博貴担当であった私の記憶と記録であり、NEWSには深く触れていませんし、正確性を欠いている部分もあると思いますがご了承ください。



内博貴

かっこいいのに天然で可愛いTHE・アイドル。関ジャニ∞では末っ子として、2トップ*1として、お兄ちゃん達に溺愛されていた彼。何をしても、何もできなくても「しゃーないなぁ」「お前は可愛いなぁ」と全て許されていて、“ひよこ”“ハニートースト”“プリンス”なんていうあだ名はその象徴であったと思う。そんな姿やメンバーとの関係性を見ているのが幸せで、大好きだった。一方NEWSでは、お兄ちゃんとしてグループを引っ張っていこうと錦戸亮と奮闘していて、寂しくなったら2人で3馬鹿(横山裕渋谷すばる村上信五)に電話したりして、2つのデビュー組の掛け持ちという前例のないことを頑張っていた。


2005年初夏、掛け持ちということもあり超多忙だった内博貴錦戸亮。そのせいか肺気胸になって入院した内博貴錦戸亮安田章大が毎日毎日入院先にお見舞いに行ってくれて、ある日東京にいた村上信五も呼び、彼には内緒でメンバー全員でお見舞いへ。博貴パパに「横山くんたちがな、ドッキリで行く言うてるで!」とバラされたけれど、まさか全員来るとは思わなかった彼は嬉し泣き。その時インスタントカメラを使って、初めてプライベートで8人全員で撮った4枚の写真。残りの20枚のフィルムで、この夏いい思い出を作っていこうと誓っていた。そして驚異の回復力をみせた内博貴。無事に復帰できたと思った矢先、あの事件を起こしちゃって。


無期限の謹慎処分


衝撃で、信じたくなくて。第一報の“18歳のNEWSメンバー”という情報から、内博貴じゃなくて加藤成亮だったら…シゲ担の方には申し訳ないが、当時はとっさにそう思った。だけど、事件当日の加藤成亮はMステに出演中。当時18歳のNEWSメンバーといえば、内博貴しかありえなかった。

次の日から急速に、あらゆる公式から「内博貴」という名前と存在が消されていった。1人欠けたワールドカップバレーの応援、急遽田口淳之介に代わって撮影し直された連続ドラマ「がんばっていきまっしょい」、彼のコメントだけカットされたジャニーズフィルムフェスタ、1人分の立ち位置が空いたまま行われたNEWSの舞台「SUMMARY」、音源化を控えていた関ジャニ∞の曲「桜援歌」や「無限大」は7人で録音し直され、関ジャニ∞の舞台「Magical SUMMER」は当時関西Jr.だった中間淳太が代役を務めてくれた。

悲しくて苦しくてやりきれなくて、それからは毎日過去映像を漁って復帰を願って泣き続ける日々。なぜ、どうして、よりによってこんなに多忙で大切な時期に…。


しかし、メンバーからの隠されたメッセージに救われることもあった。

Johnnys webでの錦戸亮縦読みメッセージ*2、Johnnys webの連載で大倉忠義が毎回最後に書くようになった「8→1」、「好きやねん、大阪。」のジャケ写には8人の男の子の絵が描かれ、「いつか、また…。」の歌詞*3内博貴へのメッセージソングとしかとれないし、「関風ファイティング」の台詞の数は8個あった。もう細かくは覚えていないが、他にも時々あるメンバーとの絡みやエピソード。そんな希望に支えられながらひたすら待った、そんな矢先の大きな絶望。


2006年2月
NEWS草野博紀の無期限の謹慎処分

これによりNEWSは年内の活動を停止、個人活動やテゴマスや関ジャニ∞の活動に散らばることとなる。これは内博貴の復帰もなくなったと同義であり、本当に絶望でしかなかった。2グループの掛け持ちをしていて、ましてやNEWSとしての活動において事件を起こした彼が、NEWSの活動停止中に関ジャニ∞にだけ復帰するなんてありえないのだから。そして…

2006年12月
後に伝説の公演のひとつとされる、関ジャニ∞の「KAN FU FIGHTING 全国ツアー2006 第2弾」オーラス・横浜アリーナ。大阪ロマネスク*4で号泣したメンバー。そのレポが流れてきたとき、良いことなのか悪いことなのか…これは何かあったなと思った。後から思えばこれは、内博貴の復帰が許されないとメンバーに告げられていたのではないかと思う。そう思ったのは直後に次のことがあったからだ。

2007年元日
NEWSが正式に6人で活動再開。ジャニーズカウントダウン2006-2007、年明けとともに城島リーダーによって呼び込まれ、泣きながら歌うNEWSを見て「よかったね」と号泣した私は、この時点でもうNEWSへの未練はあまりなかったといってもいいのかもしれない。しかし、NEWSへの復帰が叶わないとなれば関ジャニ∞への復帰も厳しいし、メディアは関ジャニ∞からも脱退したと報じていた。それでも、関ジャニ∞も私たちも諦めなかった。


2007年5月
1度目の大きな転機が訪れる。「PLAYZONE2007 Change to Chance」への内博貴と草野博紀の出演と、研修生としての復帰が発表された。待ち望んでいた形の復帰ではなかったけれど、ジャニーズJr.の研修生という降格処分ではあったけれど、それでも私たちの前に帰ってきてくれる。そのことが本当に嬉しくて、またその舞台をメンバーが観劇し泣いていたことに涙した。

それからも希望の光は次々に差し込んでくる。

2007年8月5日
後に「東京ドームの奇跡」と呼ばれた出来事が起こった。関ジャニ∞の47都道府県ツアー・東京ドーム公演のダブルアンコール「関風ファイティング」。出てきた途端、バックステージに向かうメンバー。先頭を走っていた錦戸亮がステージを降り、見学席から1人をステージに引っ張り上げる…内博貴だった。横山裕が「内博貴ーーーー!!!!」と叫んだその瞬間に曲がかき消されるほどの歓声が響き渡ったという。メンバー一人一人とハグをして、お客さんに何度も何度も頭を下げながら花道を歩く内博貴、自分の着ていたツアーTシャツを脱いで彼に着せた錦戸亮、そして5万5千人と8人による「最高で最強の関ジャニ∞」。私はその場にはいなかったけれど、メルマガでその速報を読み過呼吸になるかと思ったほど号泣したことは覚えている。

そして後日更新されたJohnnys webの連載や発売された写真集で、メンバーがこのことについて暗に触れている。渋谷「花。花。花。花。花。花。花。花。∞花。(中略)やっぱり間違いないんだよ、何もかも。間違いじゃなかったんだよ、何もかも。」安田「そして、ラスト。僕らはその存在にかなり支えられてきたなと思っています。僕らの心に常にいたし、励みになってたし、何事にも負けずに立ち向かわしてくれていました。だからあの時はほんっとに幸せでした。そして今回のドームのSTAGE。いざ走り出したみんなは過去ではなく今、たった今が僕らの1番の素直でステキな笑顔になれたと思いました。そして関ジャニ∞とみなさんの前で言えた事が何よりも嬉しかったデス。そん時関ジャニ∞はみんな笑ってました。僕らはこれから先も変わらずみんなで笑っているでしょう!」錦戸「東京ドームで見た、一度は失ったはずの可能性。何より僕らにはこの事実がある。」


2008年の年明けに2度目の大きな転機が訪れる。内博貴が「一瞬の風になれ」という4夜連続ドラマに主演し、本格復帰することが決定した。そして兄役で友情出演するのが錦戸亮とあって、2人で各テレビ誌の表紙や特集を飾りまくった。この時の錦戸亮の緩みきったデレデレの笑顔は、後に彼が出演するドラマ「ラストフレンズ」の監督に「これくらい笑って」と言われ「俺めっちゃ笑ってるんですよ(笑)」と本人も言っていたほどである。

その後も、2008年のツアー「夏だ!ツアーだ!!ワッハッハー!!」で歌われた「All of me for you」では全員が静止して歌っていない場面でCDの音源が使われて内博貴の声が流れたり、大倉忠義のソロコンサートMCに内博貴が飛び入り参加したり、内博貴のソロコンサートには関ジャニ∞メンバーが全員見学に来てMCに参加したし(村上信五以外。見学に来ていたという噂はあるが少なくともMCには参加していない)錦戸亮に至っては応援VTRなるもので毎公演出演している。2009年の渋谷すばるとFiVeの初日の出コンサートでは錦戸安田とともに飛び入り参加し一緒に「Heavenly Psycho」を歌ったというのだから号泣不可避であるし、2009年に発売されたアルバムのリード曲「パズル」錦戸亮を筆頭にメンバーが関ジャニ∞の過去を全て斉藤和義さんに話して作ってもらったという曲で、歌詞がこれまた内博貴に思いを馳せずにいられないものであった。*5

気のせいだ、考えすぎだと言われればそうかもしれない。でも、こんなにも待っている人達がいると思える。それらに励まされ内博貴の担当であること、その精神を保つことができていた。しかしその想いに反して、CDリリースの度ツアー初日の度、何度期待しても関ジャニ∞への復帰は叶わない。


そして2009年元日
大倉忠義のJohnnys webの連載で、内博貴が謹慎になった時から毎回必ず末尾に書かれていた「8→1」が消えた…そこには代わりにこう書かれていた。「どんな事があっても/明日という光が射す/どんな事があっても/時間という薬がある/同じ時代に生まれ/出会えた奇跡/その奇跡を信じ/歩き続けたい/歩き続けて欲しい/場所は違えども」(※“/”は改行)他のメンバーの日記もどこか意味深で、これはまた何か言われたんだろうなと思った。


内博貴も、2011年のQuestion?とのコンサートでこう語った。「いつかは僕の口から伝えなきゃならないと、ずっと思っていました。僕は昔、関ジャニ∞っていうグループにいて、NEWSっていうグループにいて。NEWSとしてデビューして、エイトとしてデビューして、とんとん拍子で。メンバーでいる時もプライベートでも仕事でもわいわいしてて、あのころは仕事に対しての夢なんてなくて。ただ、与えられた仕事をやればいっかってアホな考えでアホなことしてしまって、みなさんに多大な迷惑をかけてしまったこと、この場を借り、本当に申し訳ございませんでした。そんな僕をジャニーさんが救ってくれて、今のこいつらと巡り合せてくれて。ほんとにジャニーさんには感謝の気持ちでいっぱいだし、Question?のみんなにも感謝の気持ちでいっぱいです。こうやってバンドしてて、夢ができました。こいつらと一緒にやっていきたい。僕、こいつらとやってる音楽が本当に楽しいんです。関ジャニ∞に戻ってほしいって書かれたファンレターをもらうこともあるけど、でも、僕はもう後ろを振り返りたくないんですよ。振り返ったら前に進めない。分かってもらえない方には、少しずつ分かってもらいたい。この事務所に入ってこいつらと出会って、内博貴の第2章が始まったと思ってます。みんなのために、ジャニーさんのためにがんばりたいと思います。僕らの新しい夢を温かく見守ってください。ごめんなさい、泣かせてしまって」


そして私にとっては8周年が大きな区切りだった。∞祭のパンフレット「Dear eighter」内で、内博貴のことについて当時どう思ったかという質問がされていた。今まで触れることが許されなかった内博貴という存在に触れ、語られることの許されなかったメンバーの本音を聞くことが出来て嬉しかった反面、公式の場所で、記録として残るもので、はっきりと過去にされてしまったショックはとても大きなものだった。そして何よりも、同年のツアーオーラスの京セラドームで錦戸亮が泣きながら言った言葉「8人目は私ですって言ってください」…いつも内博貴の隣で、親友として、1番のライバルとして、一緒にいた錦戸亮内博貴の復帰を誰よりも願い、謹慎中は毎日電話やメールをして、時には一緒に泣いて、辞めたいと思ったことも1度や2度じゃなかったという内博貴を一番近くで強く支え続けてくれていたのはきっと彼だった。その彼の口から泣きながら紡がれたこの言葉の重みは相当なものだった。


あぁ、もう無理なんだ。そう思わざるをえなかった。でも7年も必死にすがりついて、ただただ信じて待ち続けた日々を「そうですか分かりました」と簡単に諦めて納得することなんて、内担の私には到底無理だった。だけど時間が経って、関ジャニ∞への復帰が無理なんだと少しずつ受け入れていくうちに、内博貴がQuestion?との活動を重ねる度に強くなっていく違和感に、内博貴個人そのものというよりも、関ジャニ∞の中にいる内博貴が好きだったんだと気が付いてきた。


2012年、TDCのSUMMARYではもう違和感の方が勝っていた。団扇もペンライトもほとんどない「バンドグループのコンサート」。私が求めているのは、私が追いかけたい内博貴は、コレジャナイ。ペンライトの海の中でキラキラ輝く内博貴はもう見られないのだろうか。このままQuestion?とこの道を進んでいくのだろうか。そしてその日の博貴の言動が決定打、トドメだったといってもいい。

「僕たち自分達でユニット名考えました!「内クエ(仮)」!」

あぁ…そこまでか、と。彼はそこまで本気でこの人達と一緒にやっていこうとしているのか、と。分かっていたつもりだった。応援していくつもりだった。でもこんなにはっきりと生で言われたのは初めてで、もう本当に本当にこれ以上関ジャニ∞にすがることは許されないんだと、目の前で言われてやっと、やっと頭だけでなく、心でも受け入れることが出来たんだと思う。それほどまでに私は「関ジャニ∞内博貴」に拘っていた。


…そう、「内博貴」が関ジャニ∞だったんじゃない、「関ジャニ∞のアイドル内博貴」が好きだったのだ。関ジャニ∞というグループの、底辺を共に乗り越えてきた絆とか仲良しわちゃわちゃなところとか、そういうのが好きなんだと。



そんなこんなを経て、今私は森田美勇人くんの担当をしています(飛躍)



内博貴くん

あなたの担当をしていたことは、残念ながら楽しいことよりも苦しいことの方が、笑顔よりも涙を流すことの方が圧倒的に多かったかもしれない。だけどその反面で、幸せな時間が沢山あったのも確かだったから。私の青春の全ては内博貴でした。謹慎期間中、ほぼ毎日流した涙も、毎日必死に見たり書き込んだりした「Dear 内博貴」という掲示板も、今となってはいい思い出です。約9年間、夢と幸せをありがとう。こう語りながらも諦め切れていない私は、関ジャニ∞との共演や絡みがいつかあることを祈っています。それに、7人の中に博貴の姿を探すことも止められないと思うけど、もはや癖みたいなものだから、許してね。笑

あれから10年。今は役者として活躍する貴方が、これを節目にさらなる飛躍をしますよう、これからもひっそりと応援させてください。



最後に、あの再出発のステージで歌ってくれた、内博貴(22)の想いと決意を置いておきます。





長く暗いトンネルが続く
光を目指し歩き続け前へ
霧が深くさまよい涙した
叫んだ声も届かないままで

心が痛んでいる夜も わざと笑顔で
夢への切符落とした 悔しさが今でも

希望を持ち立ち上がる
力は誰にでもあると信じてた
いくつもの夜を越えてここに…

支えてくれた君がいたから
ここまで生きてこれたんだ
君へありがとう

強く願うもう一度あの場所で
君と過ごす時間を下さい
また夢を見るんだ
互いに笑い合い 手と手合わせ
幸せそうな場面を紡ぎ出す

ここで君と誓うよ 涙なんて流させない
これからの僕を見て ついて来て欲しい
約束するよ この手を離さない
人生の足跡なら 胸の奥にそっと…

陽射しが差し込んで 虹色に染まる

届けどうかこの想い 高く虹色の空へ
この唄に乗せて 今君に送るよ
支えてくれた仲間がいたから
ここまで生きてこれたんだ
君へ ありがとう

君へ ありがとう

虹色の空へ/内博貴





*1:2グループを掛け持ちしていて人気もある内博貴錦戸亮の2人のことを関ジャニ∞メンバーがこう呼んでおり、ファンにも浸透していた

*2:「ウソをつかれがち/ちっちゃい人間?/頑張れてるかどうか/バイクに乗りたい/老後どうしようかな/なさけない/俺は何がしたい?/ラクダに乗りたい?/ハラハラ?/マイケル?/ってちゃうな/輝きたいです。/殻破りたいです」頭文字を繋げると「内頑張ろうな俺らは待ってるから」となる

*3:いつか、また...。 - 関ジャニ∞ - 歌詞 : 歌ネット

*4:8人で活動していた大阪松竹座時代から歌われ続ける関ジャニ∞の名曲

*5:パズル - 関ジャニ∞ - 歌詞 : 歌ネット